「個人商店の利益を上げる IT活用術」プロローグ


「ねえ美琴みこと。僕の晩ごはん、これだけ?」
「ごめんね。今月は財布が特に軽くてこれが精いっぱいなんだ」
「むぅ……仕方ないか。美琴の店が繁盛するまでは」

 そう言うとプラスチック皿に盛られた食事の匂いを嗅ぎ、少しだけ顔をしかめる。昨日までとは違う安物の食事はお気に召さなかったらしい。でも空腹が勝ったのか少しの迷いの後、一気にカリカリと音を立てて食べ始めた。

 あっという間にすべて食べ終えると、毛づくろいを始める。特に右耳の後ろは入念だ。何かこだわりでもあるのだろう。

 その仕草は猫そのもの……というか、猫だ。あたしの目の前には猫しかいない。そう、あたしは猫と会話している。頭がイカれてると思われるかもしれないが、事実だ。



 何でこんな状況になっているのか。事の始まりは3日前にさかのぼる。

 猫はあたしがやってる、雑貨とちょっとした食品を売っている店に迷い込んできた。その日は梅雨らしい天気で大雨。全身びしょ濡れで、プルプルと震えていたところを保護した。白い毛に黒いブチ模様のある、それは個性的な表情の猫だ。

 時刻は午後3時。閉店までまだ時間はあったけど、どうせこんな天気の日にお客さんなんて来やしない。だから早々に店を閉めて動物病院に駆け込んだ。

 幸い病気も何もしてなかった。雨に濡れた体を乾かしてあげると、痩せてもなく毛並も綺麗だった。一応念のためということで薬はもらったけど、通う必要はないそう。ついでに栄養たっぷりっていう獣医お勧めのエサも少しだけ買った。痛い出費だ。でもこれで猫が元気になるんだったら安いもの、かな。

 でも、ホッとしたのも束の間。驚愕の出来事が起きたのは、その夜のことだった。

「ねえ」

 お隣さんから頂いたぼた餅を夕食の代わりに食べていると、近くから美少年の声が聞こえてきた。でも残念ながらあたしは花の独身で一人暮らし。あたし以外この家にはいるはずもない。きっと気のせい。それか外の声が入り込んだんだろうと考えていると、またしても爽やかな声がはっきりと聞こえてきた。

「ねえって言ってるでしょ!」

 外じゃない。間違いなく部屋の中から聞こえる。でも、部屋にいるのは拾った猫だけ。えっ、まさか……。
 恐るおそる猫へ視線を送ると、しっかりと目が合った。そして猫は口を開くと、さっきと同じ素敵な声でこう言ったのだった。

「何を食べてるの?」
「えっ!?」

 しゃべった! 猫がしゃべったよね? まだ今日はお酒飲んでないよ。夢か幻か。頬をつねってみたけど痛い。どうやら現実らしい。あたしは恐るおそる返事をしてみる。

「お隣から頂いたぼた餅……ですが」
「すっごく美味しそう! 僕にも分けてくれないかな?」

 猫に小豆って与えてもよかったっけ……って、やっぱり猫がしゃべってる! 信じられないよ。
 でも欲しいって言ってるんだからあげてみよう。あたしは箸でぼた餅を小さく切ると、手のひらに乗せ猫の前に差し出す。猫はそれをパクリと食べた。

「むぉ! 美味しい!!」

 頬に前足を当て悶えるという猫らしからぬ動きをする。それが落ち着くと、まだ欲しそうな表情をするのでもう一切れ与える。猫はそれも悶えながら食べている。何なんだ、この猫。混乱しそうになったあたしは、とっておきの焼酎を取り出すとグラスに注ぎ、ぐいっと呷る。熱いものが喉から胃に流れていくのを感じる。

「ふぅ、すっごく美味しかったよ。今日はいろいろとありがと」

 ぼた餅を1個丸ごと完食すると、猫がまたしゃべった。ありがとって、保護したことを言ってるのかな? 礼儀正しい猫だなぁ。何て返事すればいいんだろう。というよりも何でしゃべってるのか聞きたいよ。でもそれで気分を悪くして祟られても怖いし……。よし、決めた。普通に接してみよう。

「…………どう、いたしまして」
「ぼた餅も、すっごく美味しかったよ」
「それはよかったです。隣の奥さんも喜んでくれることでしょう」

 険しい表情はしてない。どうやら掴みはOKみたい。良かった。

「それでね。お礼がわりに、しばらくここに住んであげようと思うんだけど、どうかな?」
「へ?」

 思わず変な声出しちゃったよ。「住んであげよう」って何それ。助けてもらったくせに上から目線な。もちろん拾ったからには、責任もって飼うか里親は探すつもりだったけど、しゃべる猫だもんな……。

「ダメ、かな?」

 あたしが返事に困っていると、猫がつぶらな瞳で見上げてきた。そして上体を起こし二本足で立つと前足を顔の前で合わせる。いわゆるお祈りスタイルだ。なにこれ、すっごく可愛いんだけど!

「うん。もちろん、いいに決まってるじゃない! ずっとウチにいてくれていいんだよ」
「ほんと? ありがとう!」

 あーあ、可愛さに押されて「ずっといていい」なんて言っちゃったけど大丈夫かなぁ、あたしの財布。今日の動物病院でかなりのダメージを受けちゃったんだよな……。

 それに動物病院だったら一時のお金だけど、飼うとなれば毎日のエサや猫砂だって買わなきゃいけない。正直ちゃんと飼える自信がない。どうしようか悩んでいると、そんなあたしの状況など察しているかのごとく、猫がこう言った。

「実は僕、ITに明るいんだ。きっと君の役に立てると思うよ」
「あ、あいてぃい? パソコンとかネットのこと……だよね?」
「そうだよ」

 突然何を言い出したのかと思ったら、ITに明るいって。あたしだって多少の知識はある。店のホームページだって持ってるし、クラウドって言葉も聞いたことがある。あたしがITオンチだからって猫には負けないでしょ。よし、せっかくだから試してみるか。

「どんなこと知ってるの?」

 あたしがそう訊くと、猫は聞いたこともないような横文字や専門用語を並べて、いかに自分が役に立つのかという説明を始めた。しかもあたしにも理解できるよう分かりやすく説明してくれる。最初は話半分で聞いていたけど、今、あたしの頭の中にはITを商売にバリバリ活用している未来が鮮明にイメージできている。

「……あんた、何者?」
「通りすがりの猫だよ」
「なわけないでしょ! そもそも猫が――」

 しゃべるわけないと言おうとした言葉を、あたしはぐっと飲み込む。

「通りすがりの割には知識量、半端ないね」
「経験がいっぱいあるから」
「経験って……。いや、もっと聞かせてくれない? いや、聞かせてください!」

 あたしは猫の両脇に手を入れ持ち上げると、グワングワンと前後に揺さぶる。

「わぉっ! ちょ、ちょっと何してるの! 顔が怖いし!」

 おっと、想定外のことだらけで取り乱してしまったよ。ごめんごめん。

「ゴホン、では改めまして。あたしに色々教えて頂けないでしょうか?」
「もちろん!」

 それからあたし達は夜遅くまで語り合った。猫はITのことだけでなく、商売についても詳しかった。あたしの商売は、超低空飛行を続けている。どれくらいの低空飛行かというと、毎月赤字が続き貯金を食いつぶしていて、もうこのままだと1年は持たないくらいだ。商売の悩みなど誰にも相談できなかったから、話題はいくらでも出てきた。ここぞとばかり、日頃の悩みをぶちまける。それと同時にお酒も進んだ。いつもはちびちび飲んでいるけど、今日は特別。ロックでぐいぐい飲み進める。
 酔いもかなり回り、紙パックの焼酎が空になったところで、あたしは大事なことを忘れていたことに気付いた。

「ねーねー、そういえば聞いてなかったけど名前はなんていうの?」
「名前? 僕にはないよ」
「あははー。なにそれ。吾輩みたいだねー」
「吾輩って?」
「日本で有名な猫のこと」
「あっ、小説のことね」

 へえ、猫なのに色々知ってるんだな。よし、名前がないならあたしが素敵な名前を付けて差し上げよう。これから長い付き合いになりそうだしね。

 ふとテーブルに目を移すと「下町のナポレオン」と書かれた紙パックが視界に入った。ん、ナポレオン? 何かカッコいいじゃん。よし、決めた。

「ねー、名前なんだけど、あたしがつけてあげよっか?」
「いいよ! どんな名前にするの?」
「ナポレオンはどうかなぁ?」
「横文字は嫌だなぁ……」

 速攻で却下ですか。いい名前だと思ったのになぁ。ならどうしよう。ITのことが詳しいからその関連用語にしてみようか。インターネット。ホームページ。クラウド……。クラウド?

「そうだ! ソラってどうかな?」
「ソラ? それはどうして?」
「ITに詳しいからその関連の言葉にしてみたの。ほら、今の流行はクラウドなんでしょ。クラウドっていったら真っ青な空かなーて思って」
「クラウドっていうのは、雲って意味なんだけどね」
「えっ!?」

 大事なところでコケちゃったよ。でもソラっていい響きだよなぁ。ん? でも表情はまんざらでもなさそうに感じるけど、どうなんだろう。しばらく様子を窺っていると、猫はあたしの膝の上にぴょんと飛び乗り、あたしに視線を合わせる。

「ソラ。悪くないね。気に入ったよ!」
「ほんと!? なら、ソラで決定ね!」



 そんなこんなで、1人と1匹の生活が始まった。
 しゃべる猫。しかもITに詳しいだなんてよく考えたら不思議すぎる。
 でも、気がついたらそんな疑問は吹き飛び、ソラとの距離感は縮まっていた。
 そんなところもソラの不思議な魅力の1つなのかもしれない。

 ソラが招き猫なのかどうかは、まだ分からない。
 でも、きっとそうだと信じてる。

 ――だって、両親が遺してくれたこの店を、つぶすわけにはいかないんだから。

 









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